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堺線香について

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香りを運んだ古道、竹内街道~5章 梅と桜の物語~

 良い香りといえば、お香ばかりでなく花の香りも長く受け継がれ、大事に育まれてきた香りです。万葉集の時代には花橘の香り、天平時代には梅の花の香りなどが尊ばれてきました。梅の花は、その花ばかりでなく香りも愛でられたようです。奈良時代までは花といえば、梅の花を指し示していましたが、平安時代に入ると、次第に花は桜を指すようになります。桜の花は梅のように香り高いという訳にはいきませんが、大輪の山桜が満開に咲き誇る様は、確かに日本の花を象徴するように思います。

 東風吹かば、匂いおこせよ、梅の花、主無しとて、春を忘るな

藤井寺市の道明寺八幡宮

 さて、梅の花を愛した歌人として、天満宮で知られる菅原道真公について少し見て行きたいと思います。道真公の住まいだった京都の北野天満宮や大宰府天満宮はよく知られていますが、更に大宰府に行く途中立ち寄ったとされる大阪市内の大阪天満宮を加えて三大天満宮と呼ばれています。実は道真公にとって大阪は非常に縁の深い土地であり、藤井寺市内にも道明寺天満宮があります。
 近鉄線に「土師ノ里」という名前の駅があり、藤井寺市内の道明寺周辺は古代、古墳の造営などに従事していた豪族、土師氏の領地とされ、道真公はこの土師氏の末裔といわれています。道明寺天満宮は道真公の叔母の屋敷跡とされ、現在でも神宝として道真公の遺品が残されています。
 土師氏は、聖徳太子との関係も深かったようで、竹内街道はちょうどこの土師氏の領地のすぐ近くを通っています。
 梅に続いて、桜について見ていきたいと思います。梅の印象が強い道真公ですが、桜に関しても幾つか歌を残しています。

 さくら花、ぬしを忘れぬ物ならば、ふきこむ風に、ことづてはせよ

 大宰府から京都の梅を詠んだ有名な歌と並んで伝えられています。ところで、桜を詠んだ歌といえば、西行法師の方が馴染み深いかもしれません。

 願わくは 花のもとにて 春死なむ その如月の望月の頃

西行法師終焉の地 富田林市 弘川寺

 西行法師が桜を詠んだ歌は230首あるとされますが、もっとも親しまれているのは上記の歌でしょうか。22歳の若さで出家の道を選んだ西行法師は、当初は京都の嵯峨や鞍馬山に庵を結びましたが、まもなく奈良の吉野山に移ります。平安末期の頃は既に桜の名所として吉野山は知られていたようで、西行も出家というよりは桜の名所に惹かれて吉野に移り住んだのでしょうか。
 その後、諸国を放浪した後、高野山に入り、かなり高齢になってから東大寺再建の勧進を行うために奥州に向かいます。
 晩年は、富田林市から少し離れたところにある弘川寺に庵居、この地で歌に詠んだ通り、桜の咲く頃に入寂しました。弘川寺は後の時代になっても西行法師を偲んで多くの文人や僧侶がこの地を訪ね、桜を大事に管理して、今でも大阪では有数の桜の名所に数えられています。

2013.9.08掲載